名投手・山本昌列伝

Last Updated on 2024年5月15日 by aquase

山本昌さんについて

山本昌さん、本名・山本昌広さんは中日ドラゴンズ一筋で32年間活躍したプロ野球選手です。

50歳になるまで現役であり続け、通算219勝を挙げている押しも押されぬエースでした。

通算200勝を達成した42歳11ヶ月は日本プロ野球でも最年長記録であり、この年完封勝利の最年長記録も更新しています。

その他にも最年長ホールド、50代として初となるマウンドなど球史の投手最年長項目のほとんどに名前が挙がるということは、年齢を重ねても戦力として球団に貢献し続けたことの証左でもあります。

山本昌、という登録名はかつて中日に山本姓の選手が複数いたために区別に用いたものが、この登録名を用いていた際に最多勝などのタイトル獲得ができたためのゲン担ぎとして山本姓が一人になっても使い続けている、というのが事情です。

山本昌
引用元:http://yamamotomasa34.com/

ゲン担ぎを重視する少し気の小さいところがあり、試合前には物が食べられない、という緊張しがちな一面もありました。

カレーなら食べられる、と試合前の昼に大量に食べ試合に臨むことから、試合前にカレーを食べていたら先発だ、ということが公然の秘密であったことが予告先発制が無かった時代には重要で、相手に漏れてはいけない情報でもありました。

山本昌投手のフォーム

山本昌投手の投手としての特徴はその188cmの大柄な体格を使ってダイナミックに放るフォームでした。

それとは裏腹に速球は速くありませんでした。

中日入団当初、監督をしていた星野仙一氏はその体躯に対して130km/hしか出ない山本昌投手のボールを見て落胆したと言います。

速球には自信があるタイプではない、と言われていますがストレートのキレにこだわり、全盛期は140km/h、年齢を重ねてからは130km/hそこそこの球速しか出なくてもしっかりきれいなバックスピンをかけることで減速の限りなく少ないストレートを投げることでも知られていました。

カットボールなどの直球系の変化球を身に着けようとした際、ストレートの感覚が狂ったために習得を躊躇した、というエピソードもあるほど速くないにもかかわらずストレートにこだわりを持っていました。

全力を出して133km/hが出なければ現役を引退する、と公言するほど本人はプライドを持ってストレートを磨いていました。

また、サウスポーのスリークォーター、というピッチングフォームからギリギリまで身体で腕を隠して投げるスタイルから左打者にとっては特に打ちづらかったと言われています。

主に投げていた変化球が左打者の膝元を抉るスクリューや逃げていくスライダーと左打者に有効な変化球ばかりであったことも手伝い、左打者に対しては滅法強かったことも特徴です。

また、1990年代までは異端だった、マウンドでグラブを胸の位置で構えてピッチングを行うフォームの第一人者である、と語っています。

長年の現役生活でもたゆまず体を鍛え続け、ウエートトレーニングは欠かさなかったと言います。

ルーティンとして小さなダンベルを使用した日課トレーニングを高校生の頃から続けており、オフのトレーニングでは思いきり負荷をかけている様子が報道されていました。

背筋力は180kgという数字を叩き出すほどです。

利き手である左手の関節可動域が狭いという特徴もある

野球を続けていた影響から、利き手である左手の関節可動域が狭い、という特徴もあります。

バラエティー番組で風船が割れる瞬間に備えて耳を塞ぐ際、左肩の可動域のために左手で耳を塞ぐことができなかった、というエピソードもあります。

左手で右耳を、右手で左耳を塞ぐような恰好をとっているため、体の前で腕をクロスさせるような体勢になっていましたが、そのクロスは長い現役生活の証でした。

それほどまでに身体を酷使してマウンドに立ち続けていた姿はレジェンドと呼ぶに足るものでしょう。

山本昌投手は多趣味な選手としても知られています。

例としてラジコン、テレビゲーム、カブトムシやクワガタ飼育などです。

もともとは膝を痛めた1995年にリハビリをしていた際に面白そうだ、という理由で始めたそうですが気が付けばのめりこみ、ラジコン大会でも入賞するほどの実力者となっていたと言います。

車も好きで、多くの高級車を現役時代保有していました。

車に見合った立派な選手になる、という目標もありフェラーリやベンツなどの名だたる高級車が手入れが行き届いている状態で保有されていたと言います。

現役を退いてからは野球中継などで解説者として出演します。

ファンの間では指導者、監督にと就任を熱望する声が絶えません。

独自の野球観や人生観をたびたび語っている彼は鋭い観察眼の持ち主であることも知られ、気難しいとされた井端選手の性質を見抜くなど確かな目を持っており、それゆえに人徳もある指導者向きの性格であると言われていますが、本人はまだ勉強途中、と語りその時ではない、といいます。

今後、野球界のレジェンドに球界復帰はありえるのか、今後も動向から目が離せません。